2004年11月、米国・マウンテンビュー。シリコンバレーとも呼ばれるこの地で、一つのソフトウェアが産声を上げた。
Mozilla Firefox(モジラ ファイアーフォックス) 1.0。レッサーパンダの名を冠したWebページ閲覧ソフト(Webブラウザ)である。
2004年11月、米国・マウンテンビュー。シリコンバレーとも呼ばれるこの地で、一つのソフトウェアが産声を上げた。
Mozilla Firefox(モジラ ファイアーフォックス) 1.0。レッサーパンダの名を冠したWebページ閲覧ソフト(Webブラウザ)である。
1993年、米国・イリノイ州。コンピュータ技術の最先端を行くイリノイ大学の擁する研究機関、米国立スーパーコンピュータ応用研究所 NCSAにおいて、その後のインターネットとWebの方向性を決定付けるソフトウェアが生まれた。
その名は、Mosaic(モザイク)。当時22歳だったマーク・アンドリーセンが中心となって開発した世界初の、Webページの中に画像を表示する機能を備えたWebブラウザだ。Mosaicは、Firefoxの最大のライバルであるInternet Explorerの直系の祖先でもある。
プロジェクトの目標は、「誰にでも使いやすいWebブラウザを作ること」。当時研究者達が使っていたUNIX環境だけでなく、一般のユーザが使うWindowsやMachintoshでも動作する事は、重要な課題の一つだった。色鮮やかなモザイクタイルのように様々な環境で動作させるという目標から、このWebブラウザはいつしか「Mosaic」と呼ばれるようになっていた。
Mosaicの人気は、まだ黎明期のインターネットにおいて、一つの社会現象となりつつあった。任天堂のファミコンが市場を席巻してすべての「家庭用ゲーム機」が「ファミコン」と呼ばれるようになってしまったのと同じように、「Mosaic」が「Web」の意味で使われるようになるほど、MosaicはWebの普及を急速に後押ししていた。
しかしそれは同時に、最初のWebを作った研究者達にとっては悩みの種にもなっていた。誰でも自由に・平等に研究資料を読めるようにと作ったWebが、Mosaicのせいで、写真や文字装飾の溢れる雑多なものとなってしまい、Mosaicでなければ読めないページが急増していた。たった一つのWebブラウザだけにWebが支配されるのは、彼らにとっては望ましいことではなかった。
チームを率いて開発に心血を注いだにも関わらず、無情にもMosaicの開発から追放されたマーク・アンドリーセン。失意の中にあった彼に救いの手を差し伸べたのは、3Dグラフィックス処理用コンピュータの開発で知られるシリコン・グラフィックス社の創業者、ジム(ジェイムズ)・クラークだった。