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[前回:たった二人での挑戦]

プロジェクトの目標は、「誰にでも使いやすいWebブラウザを作ること」。当時研究者達が使っていたUNIX環境だけでなく、一般のユーザが使うWindowsやMachintoshでも動作する事は、重要な課題の一つだった。色鮮やかなモザイクタイルのように様々な環境で動作させるという目標から、このWebブラウザはいつしか「Mosaic」と呼ばれるようになっていた。

開発は、まずUNIX環境向けのものからスタートした。Mosaicの核となる部分、Webページを表示するための「レンダリングエンジン」の開発は、ビナが担当した。アンドリーセンはそれ以外の部分、ユーザが操作するボタンなどを受け持った。二人は昼夜を問わずすさまじい勢いで開発に没頭し、わずか2ヶ月足らずでMosaicの最初のバージョンを作り上げた。1993年初頭、当時のインターネット利用者の多くが閲覧していた電子掲示板で、UNIX用Mosaicの最初のバージョンを発表した。

さらにその翌月には、Windows上で動作するバージョンと、Mac上で動作するバージョンも発表した。この驚異的なスピードでの開発を可能にしたのは、Mosaic開発チームに加わった6人の新たなメンバーの力だった。Mac版の開発をほぼ一人で担当した、アレックス・トティック。Windows版を開発した、ジョン・ミッテルハウザーとクリス・ウィルソン。ファイルをアップロードするモジュールをわずか48時間で書き上げた、クリス・ヒューク。裏方としてMosaic向けの高機能なサーバー・ソフトウェアを開発した、双子の兄弟のロブ・マッククールとマイク・マッククール。いずれも、イリノイ大学とNCSAの中でも屈指のエキスパート達だった。

Mosaicが公開された瞬間、Webの利用者の間に、衝撃が走った。

当初は学術目的のためだけに大学や研究機関で利用されていたインターネットも、この頃にはすでに、研究者に限らず誰でもWebを閲覧できるようになっていた。しかし、情報のやり取りや公開は文字だけでのものが主流で、依然として、一般人には敷居の高いままとなっていた。

だが、そんな状況をMosaicが一変させた。それまで論文やレポートのような地味なものしかなかったWebページが、Mosaicによって一気に、雑誌や新聞、ポスターなどのように美しく装飾されて、多くの人の目を惹く物となったのである。また、研究者向けのUNIX環境でなければ見ることができなかったWebが、Mosaicによって一般の利用者も多いWindowsやMacでも気軽に利用できるようになった事も、大きかった。

[MosaicがWebを、より使いやすく親しみやすいものへと一変させた。(イラスト)]

多くのWeb利用者が、Mosaicをこぞってダウンロードした。Mosaicのダウンロード数は、発表からわずか数ヶ月で100万回を超え、1年で200万回にまで達した。当時のWeb利用者は現在よりもはるかに少なかったことを考えると、この数字は驚異的だ。今までインターネットを利用していた人たちは、次々と、古いWebブラウザからMosaicに乗り換えた。新しくインターネットを利用し始めた人も、最初からMosaicを利用した。

マウスによる簡単な操作で、雑誌のページのようにカラフルで魅力的なWebページを、波乗りのように自由自在に渡り歩く。その様子から、「ネットサーフィン」という言葉も生まれた。Mosaicでネットサーフィンする姿に、人々は未来を感じた。Mosaic開発チームはもはや、研究者や開発者達のコミュニティの間で一躍トップスターとなっていた。

だが、そんなMosaic開発チームの栄光も、長くは続かなかった。

(文責:下田洋志)

(参考資料:「マイクロソフトへの挑戦 ~ネットスケープはいかにしてマイクロソフトに挑んだのか~」 著:ヨシュア・クイットナー/ミシェル・スレイターラ 訳:安蒜康樹 刊:毎日コミュニケーションズ)

[次回:追い詰められたMosaic開発チーム]