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[前回:追い詰められたMosaic開発チーム]

チームを率いて開発に心血を注いだにも関わらず、無情にもMosaicの開発から追放されたマーク・アンドリーセン。失意の中にあった彼に救いの手を差し伸べたのは、3Dグラフィックス処理用コンピュータの開発で知られるシリコン・グラフィックス社の創業者、ジム(ジェイムズ)・クラークだった。

[ジム・クラーク(イラスト)]

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アメリカ・テキサス州に生まれ恵まれない幼少期を過ごしたクラークが、たぐいまれな数学の才能に目覚めたのは、高校を卒業して海軍に入隊してからのことだった。

やがてコンピュータ・グラフィックスに関する理論とプログラミングのエキスパートとなったクラークは、「ジオメトリ・エンジン」と名付けられた画像処理用マイクロチップを開発した。そして1982年、ジムは自ら教鞭をとり指導した大学の学生たちと共に、シリコン・グラフィックス社(SGI)を設立。コンピュータ・グラフィックス処理専用ワークステーションの開発と販売を開始した。

当初、SGIの画像処理技術の利用価値を知るものはいなかった。しかし、ほどなくしてハリウッドの映画産業が目をつけ、映画のコンピュータグラフィックス効果にSGIのワークステーションを採用するようになった。ハリウッドを支える最新技術を生み出した先進企業。SGIは世間の名声を得て一躍、業界の寵児となったのだった。

そうしてSGIの経営が軌道に乗り、組織が成長するにつれて、クラークは組織の運営が自分の思い通りに行かないことに不満を感じるようになっていた。思い通りにならないSGIを手放し、身軽になって新しい事業を始めたい。彼は、そのためのパートナーにふさわしい人物を捜し求めていた。

クラークがアンドリーセンの存在を知ったのは、まさにそんな時だった。世界中のコンピュータマニア達を虜にした画期的なソフトウェアの開発者が、シリコンバレーにいる。クラークは早速、電子メールでアンドリーセンへ会談を申し入れたのだった。

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アンドリーセンとクラークが顔を合わせたのは、1994年初頭の冬のある朝、シリコンバレー・パロアルトの片隅にあるコーヒーショップでのことだった。

親子ほども歳の離れた、アンドリーセンとクラーク。Mosaicの行く末とインターネットの未来について語り合ううちに、二人は意気投合した。そして、古いMosaicに代わる新しいWebブラウザや、それを使った全く新しいビジネスモデルについて、互いに熱い議論を戦わせた。

この日以降、彼らは新しいビジネスの立ち上げに向けて、幾度となくミーティングを繰り返した。時にはクラークの自宅で、またある時は彼が所有するヨットで、アンドリーセン以外にも何名かの有能なエンジニアを交えて、インターネットを利用したビジネスの可能性を様々な角度から模索し、計画を急ピッチで纏め上げていった。そして二人が出会ってから数ヵ月後には、新事業を繰り広げるための母体となる新会社、Mosaic Communicationsを設立するまでに至っていた。

Mosaic Communications社の設立は、あくまで秘密裏に進められた。この計画を、オリジナルのMosaicを所有するNCSAに知られれば、産声を上げたばかりのMosaic Communicationsが潤沢な資金を持つNCSAに敵うはずはなく、ともすればすべての計画がご破算となる可能性もあったからだ。

また、Microsoftの存在も気がかりだった。当事すでにMicrosoftは、新しい分野のソフトウェアやサービスが誕生するなり、オペレーティングシステムを制しているという強みと莫大な資金を背景として、先駆者を猛然たる勢いで追い落とすというビジネス戦略を繰り広げていた。Mosaic Communicationsが開拓しようとしているインターネットビジネスという新分野に、Microsoftが目をつけるのは時間の問題であった。クラークとアンドリーセンに残された手は、ただ一つ。先行逃げ切りを狙って、Microsoftに追いつかれる前に確固たる地位を築くということだった。

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彼らが打ち立てた新しいインターネットビジネスの大きな柱とは、インターネットとWebを利用した電子商取引の実現だった。

当事、インターネットは学術目的のみの利用という制限から解き放たれて商用利用が始まり、すでに一般人も利用することができるようになっていた。だが、商用利用といっても実際にはWeb上には、せいぜい、Webページ上に記載された電話番号や住所宛に連絡を取って通信販売を行う程度のサービスしか無かった。インターネット経由で安全に決済を行うような仕組みが、そこには全く存在しなかったからだ。

そこで彼らは、住所やクレジットカード番号などの重要な個人情報を安全に通信することのできる機能を持った、新しいWebサーバソフトウェアを開発することを考えた。それらを販売したり、自社のサーバ上に設けたスペースを貸し出すことによって、様々な企業が自分達の商品の販売を行えるインターネット・モールを運営したりすることで、インターネット経由での決済で簡単に物を買うことができる環境を用意する。その上で、その新しいサーバソフトウェアと連携して動作する新しいWebブラウザを開発して、販売するという、ビジネスモデルである。

これらの計画を最大の武器として携え、シリコンバレー・マウンテンビューの一角にオフィスを構えて法人化手続きを済ませたMosaic Communicationsは、1994年4月4日、ついにインターネットとWebという大海へと船出した。アンドリーセンの苦渋の選択から数ヶ月、季節はすでに春を迎えていた。いよいよ、反撃が始まろうとしていた。

(文責:下田洋志)

(参考資料:「マイクロソフトへの挑戦 ~ネットスケープはいかにしてマイクロソフトに挑んだのか~」 著:ヨシュア・クイットナー/ミシェル・スレイターラ 訳:安蒜康樹 刊:毎日コミュニケーションズ)