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[前回:プロローグ]

1993年、米国・イリノイ州。コンピュータ技術の最先端を行くイリノイ大学の擁する研究機関、米国立スーパーコンピュータ応用研究所 NCSAにおいて、その後のインターネットとWebの方向性を決定付けるソフトウェアが生まれた。

その名は、Mosaic(モザイク)。当時22歳だったマーク・アンドリーセンが中心となって開発した世界初の、Webページの中に画像を表示する機能を備えたWebブラウザだ。Mosaicは、Firefoxの最大のライバルであるInternet Explorerの直系の祖先でもある。

[マーク・アンドリーセン(イラスト)]

* * *

NCSAは、才能溢れる若い技術者達による自由な開発を促進するために設立された研究機関だ。所長であるラリー・スマールの指導のもと、高性能なコンピュータ環境を整備して、学生や職員などの手で、ネットワークやコンピュータグラフィックスなど様々な分野で先進的なソフトウェアの開発を行っていた。

マーク・アンドリーセンも、そこに所属していた。子供の頃からコンピュータの分野に天才的な才能を示し、優秀な成績でイリノイ大学に進学したアンドリーセンは、学費を稼ぐために、アルバイトの研究員としてNCSAに入ったのだった。

1990年から1991年にかけて、インターネットをベースとした新しい情報公開・共有のための仕組みである「World Wide Web(Web)」が登場。世界各国の大学や研究機関も、このネットワークに少しずつ参加し始めていた。だが、この頃のWebは学術目的に必要な最低限の機能しかなく、画像をページの中に埋め込むことも出来なかった。

IBMとNCSAで3D画像処理に関する開発に携わってきたアンドリーセンの目には、文字情報だけのWebページと、不親切なユーザーインターフェースのブラウザは、いかにも無味乾燥で味気ない物に思えた。彼は思った。「これを、もっと使いやすくて面白いものにしたい。」

ある日アンドリーセンは、友人でありNCSAの職員であるエリック・ビナに、使いやすくて面白い新型のWebブラウザを開発するというアイデアを持ちかけた。「この画面の中に画像を埋め込んで表示したり、部分部分で文字の大きさを変えたり、ワープロのような綺麗なページを表示させたいんだ。」そして、アンドリーセンはビナが異常な負けず嫌いなのを知っていて、あえて、こう訊いた。「そういうものを作るのは、不可能かな?」その問いで、ビナの目の色が変わった。

ちょうど時を同じくして、彼らの上司のジョゼフ・ハーディンも、Webに出会い、その将来の可能性に思いをはせていた。アンドリーセンがWebブラウザを開発しようとしているという話を聞きつけたハーディンは、アンドリーセンとビナに言った。「他の仕事は中断してかまわない。新しいWebブラウザの開発に専念するんだ。」

こうして、二人きりの開発プロジェクトはスタートしたのだった。大柄で行動派のアンドリーセンと、小柄で慎重派のビナ。まったく正反対の二人の開発チームだった。

(文責:下田洋志)

(参考資料:「マイクロソフトへの挑戦 ~ネットスケープはいかにしてマイクロソフトに挑んだのか~」 著:ヨシュア・クイットナー/ミシェル・スレイターラ 訳:安蒜康樹 刊:毎日コミュニケーションズ)

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